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2010年06月01日

即興でしか得られない強烈な何か(1)

(2010/4/17の「飯田雅春+田仲ハル」に向けて書いたが未公開)

飯田雅春+田仲ハル というユニット
ここ2年ほど活動している「呼吸のゆくえ」というデュオのネクストステップだ。
もともとは「コントラバスと身体」による「即興」ユニットとしてはじめたデュオ。
まあその、なんというかこの「即興」というのがなかなか一筋縄ではいかない概念でして、単なる手法であるともいえるし、そうでないとも言える。
いや、世の中には「手法としての即興」もあれば「手法を超えた表現のありかたとしての即興」もある。両方ともある。という方がいいかな?
一定のルール(リズム・和声・構造)に則りながら演奏者が「自由に」音を選択する、というのが一般的な即興のとらえ方だろうか。
その概念をどこまで拡張するか(しないか)、によって、その人それぞれの即興観が作られる。
それによって何が異なるかというと、いろいろな違いが生じるのだけれど、一つおおきな違いは、「良し悪しの基準」だ。
例えばビバップの即興演奏の良し悪しの一つの尺度に「和声(コード進行)に基づいたフレージングを、速さを伴って、多様に(同じ事をやらないで)生成できるかどうか」がある。
(われながら理屈っぽい、笑)
もちろんそれだけで良い演奏悪い演奏という訳ではないし、さらにいうと音楽の「良い、悪い 」なんてあるのかどうか?という話は別として・・。

簡単に言うとビバップ即興演奏の修練をストイックに追求するセッションの場で、ブルースとかリズムチェンジ(循環コード)を演奏していてソロが回ってきた時に、チューニングのずれたギターでフィードバック音だけで「ギュオーン、ヒイイイイイイーーン」とかやったとすると(やってみたい笑)ほぼ間違いなくドン引きされる(または最初の1回に限って大喜びされる)。

逆にノイズや響きに主眼をおいた(ジャズのような「フレーズ」は避けられることの方が多い)即興ライブで、おもむろに指を4本立てて「酒バラ、エフで。ワン・ツー・1,2,3,4」なんてやったら(やってみたい、以下同様)

つまり、同じ即興演奏でも、あるところで良しとされる演奏が、別のところでは良くない。ということが起こる。
即興観によって良し悪しの基準が異なる。ということ。

肉まんだと思って食べたらあんまんだった時の失望を思い出そう。

加えて「即興演奏」を「即興行為」という方向に拡張すれば、ダンスなどの身体表現・絵画やアート・文学・お笑いや建築や料理、もしかすると政治とか経営 などをその概念に取り込むことが出来る。
即興詩人のように、即興そば打ち名人とか即興知事とか・・・

おっとこれは脳科学で有名なM木K一郎先生のように「人生って即興だよねー?」まで行ってしまうおそれもある。
それはそれで全然間違いではないのですが「そもそもクオリア本当ですか?」と突っ込みたくなるのです。あ、マズイ。話が変な方向に・・・

呼吸のゆくえで指向していたのはどちらかというと「手法を超えた表現のありかたとしての即興」の方。
僕個人的にも、演奏・表現において「即興でしか得られない何か」「即興でしか到達しえない場所」がある(しかも強烈に、ある)ので、即興は重要なトピックです。

これは大事なことなので繰り返します
「即興でしか得られない強烈な何か」があります。
「即興でしか得られない強烈な何か」があります。
それはもしかすると物理学と関係があるかもしれない。

つづく・・・

by iidamasaharu : | コメント (0)